淡い期待も吹き飛んだ

2024年03月17日

診療所での治療は完璧だった。先生の診察が的確だっただけでなく、子供の頃から慣れ親しんできた環境がそのまま残っていて、安心感が違った。
だから、診療所の先生が倒れられて次を探す作業はとても苦痛だった。診療所以上の治療環境なんて望めないからだ。再会する形となった今の個人医院でも、診療所を超えられるとは考えていない。
そんなことは予見できることだから、僕も最初から高望みはしなかった。最低限の検査をして処方箋を出すだけでいい。
それだけでいいのに、それができなかった。

診療所では設備の関係でできないことを、町の病院に期待した向きもあった。
僕の糖尿病は、2型の中でも希少なMODYだと推測される。ここ10年間で確立された分類で、遺伝子異常によりインスリン分泌機能が欠損した状態を指す。インスリン注射が必要な一方、腎臓や肝臓にダメージがないこともMODYなら説明がつく。
ただここで推測としているのは、遺伝子検査を受けたわけではないからだ。今の先生に糖尿病と診断された時も、ごく一般的な判定方法が使われた。その際に、1型の可能性もある、と指摘された理由がおそらくこれなのだろう。その当時はまだMODYが知られていなかった。
僕がMODYの存在を知ったのは、足を切断した後だ。長い糖尿病生活の尺ではつい最近のこと。最初に診断された際のもやもやがやっと晴れたけど、治療としては特に変わらず。それまでと同じことを続けていれば事足りる、はずだった。
転機はやはり、先生が倒れられたことだった。僕はMODY以外にも低血圧だったり、足を切断したりといった特殊な要素がたくさんある。それらを知って治療を始めるものだろう、と思っていた。だが現実は違った。
近所というだけで選んだ最初の個人医院の老医師は、話もろくに聞かなかった。指摘が全て的外れで、偏見や先入観すら感じられた。
町の病院で初診を担当した内科部長の場合は、目の前の僕をそもそも見ていない感じだった。MODYは知っていても、本当にいるとは信じていないような。
正式な診断結果でないとはいえ、どちらもひどい。僕からすれば、腕が悪いという評価になる。
それと同時に、僕が抱いていた淡い期待も泡と消えた。町の病院については、遺伝子検査どころか、健康を守る場所ですらなかった。

僕は術後4年で義足を使いこなすだけでなく、眼鏡をすれば車の運転ができるところまで回復した。糖尿病が原因による40代での手術としてはかなり異例だ。
なぜ、こんなことができたのか。そこに興味を持つのは、医者としては当たり前の態度ではないのか。
人類の病気のほとんどは遺伝子で決まると言ってよく、遺伝子検査の必要性はどんどん高まっていく。なのに、目の前にいる患者の特性に目を向けることもないのが、紛れもない現実。
この地域の医療水準が低空飛行なのもうなずける。
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Posted by くろねこ  at 15:57 │Comments(0)義足で歩く命と健康、再生の物語光を求めて
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