まだまだ

2025年01月04日

テレビのニュースを観ていたら、義足の人の話題が伝えられていた。
それは、30代前半くらいのパラアスリートの女性。思い切って左足の膝上から切断してリハビリに励み、手術から半年でパラバドミントンに復帰した、というものだった。
スマホで調べてみたら、元々は実業団でバドミントンをしており、股関節の手術が元で麻痺の症状が出たため、車椅子フェンシングに転向したらしい。しかしバドミントンをしたいという想いが捨てきれず、思い切って手術に踏み切ったとのこと。
彼女はかなり条件が良いとは言えるが、それでもリハビリ開始から半年での試合復帰はとても早い。しかも麻痺がわずかに残り、腰の装具で補助をしないと左足が動かない状態だというから驚かされる。
復帰戦で彼女が装着していたのは競技用の大腿義足。電子制御で膝や足首が動くためにスポーツの機敏な動きを実現できるものだ。僕が日常使用する生活用の下肢義足とは何もかもが違う。
彼女のモデルは高性能ではあるが、それはあくまでも可能性を広げるだけだ。使いこなすには周りの手厚いサポートと、訓練の繰り返し、それに人一倍の努力と忍耐が必要になる。
彼女はそれらをクリアしたから、半年という驚異のスピードで夢舞台に戻ることができたのだろう。
彼女が目指すのは、世界だ。パラオリンピック。
自らの足を捨てて義足になるという大決断の先にバドミントン復帰を果たした彼女なら、世界でも活躍できるのではないか。そう、期待せずにはいられない。

翻って、僕の右足のこと。
仮義足が出来てきた初日から義足を履いて歩けたのはとても嬉しかった。身体が衰弱して体重が落ちていたし、病気も抱えているからそこまでうまくいくとは思っていなかった。
だが、その後の進捗はそこまででもなかった。彼女が試合に復帰した半年くらいの僕は、松葉杖の返却を考える程度の段階でしかなかったかもしれない。
毎日なるべく歩くようにすることで、作業所デビューに間に合ったような感じ。それからも歩き方の上達は漸次で、ようやく納得できるまでには2年半くらいは時間を要した。
コロナ禍でリハビリができなかったとか、糖尿病があるとかは言い訳だろう。自分の限界を決めずに高い意識を持っていれば、もっと早く上達したに違いない。
テレビを通じて彼女の頑張りを見て、自分はまだまだだな、と思った。
まだまだできることはあったし、まだまだこれからできることもある。
まだまだ、と胸に刻んで今後を生きていきたい。
  
Posted by くろねこ  at 17:06Comments(0)命と健康、再生の物語義足で歩く

風邪引いた

2025年01月11日

久しぶりに風邪を引いた。
正月休みが明けて出勤し始めたくらいから鼻水グジュグジュ、何となく気分がすぐれない。とにかく喉が痛く、脱水症状もある。
熱はないようなので医者には行かず、ドラッグストアで買ってきた市販薬を服用して安静に過ごした。軽めの体調不良がしばらく抜けず、今朝になってようやく全快したようだ。
夜のうちに雪が降って寒かったものの、起き抜けから見違えるように身体が軽かった。だからやっと、この記事を書く気にもなれた。

体調不良の間も普通の生活を送っていた。お母さんの作る普通の食事。そして午前中は作業所へ。
食欲の減退こそなかったが、食べたものの消化が悪いのは感じていた。胃腸の働きが低下して、便の排出も思うようでない。
おそらく、身体の中で一生懸命、消化器を働かせるために余分なエネルギーを消費していたのだろう。どうもインスリンの切れが早く、へろへろになりやすかった。
ということは、風邪症状によっても、その回復過程によっても動けなくなるリスクが高まるわけで、注意が必要だと分かった。
さらに風邪を引いて動けなくなると、それが血糖値の乱れにも繋がっていく。風邪の症状として血糖値が乱れるわけではない。
今回は重篤な症状が出なかったが、体調不良が続くだけでも苦しかった。自分の思う普通の暮らしができないのが、こんなに苦しいとは。
やはり健康でないと何も始まらない、と思った。そうした教訓を新たにする意味で、有意義な年の始まりになった気がする。
  

エネルギーが生まれる瞬間

2025年01月19日

僕は体内でエネルギーが生まれるのを体感しながら日々を生きている。
よく分かるのはインスリンを打って食事をしている最中だ。香辛料が特に使われているわけではないのに、身体の中に仄かな熱を感じる。額がうっすらと汗ばむ。
スパイスたっぷりのカレーを食べたりすればすぐに大量に汗をかいてしまい、タオルで何度も汗を拭かなければならない。食事一つでも大変だ。
もう一つ、こちらはエネルギーの減少を感じるのは、食事の直前。インスリンが切れてから次の食事までの時間はやたらと身体が冷えて、その時間帯だけ暖房を入れることがよくある。
その身体の冷えた時間帯に体温計で測ってみても体温の変動は見られない。となると、おそらく体温に現れない深部体温の変化なのだろう。
人知れず、エネルギー切れと格闘しているわけだ。最初の頃は理由が見えていなかったが、インスリン歴が長くなるとこういうことも分かるようになった。
今の自分は、ある程度のエネルギーを生み、またそれを利用できている。だから全身の筋肉を動員して自在に動けるようになり、それに伴って心の方の回復も促されたのでは、と感じている。
体内のエネルギーを感じることは健康維持に役に立つのは間違いない。
だが、ほとんどのお医者さんは教えてくれない。なぜならエネルギーは目に見えないし計測もできないし、そもそもの認識が不足しているからだと思う。
特に糖尿病はエネルギーが生み出せないか、エネルギーへの変換が阻害される病気である。最終的にその人のエネルギーが使われて、活発に動けなければ治療の意味がない。
その着地点を見い出せたからこそ、今の自分がいるのだろう。食事中に汗をかいたり、食事前に身体が冷えたりしながらも、体内で生み出すエネルギーの変化を感じながらのこの生活を続けていくのが一番良さそうだ。
  
Posted by くろねこ  at 10:23Comments(0)命と健康、再生の物語

ポケモン人気は絶大

2025年01月25日

作業所。今月のレクリエーションは絵手紙。
午後から4人が一階の別部屋に集まり、思い思いに絵手紙に取り組んだ。メインフロアでは他のメンバーが通常作業中なので、スタッフは1名で両方かけもちだった。
前回と同じように、白い葉書を自由に使って色鉛筆や筆ペンなどを用いてそれぞれに絵を描く。僕は黙々とゲームキャラに挑んで苦戦した一方、他のメンバーはなんだかんだで楽しそうだった。
今回はポンコツ君も。自前のファイルを持ち込んで迷いなく絵を描き写していた。その絵がどう見ても素人とは思えない出来栄えで、みんなから褒められていた。僕も素直に上手いと思った。
才能があるポンコツ君はともかく、他の二人も会話をしながら和気藹々。一人は野菜などを描いていたが、最終的にはポケモンキャラに落ち着いたようだ。そして気づくと、僕を除く全員がポケモンを描いていた。
ポケモン人気は絶大。これには僕の描いた「ぽちゃガチョ」に勝ち目はない。

僕自身はポケモンに馴染みはない。分かるのはピカチュウだけ。
ただ、その人気ぶりは折に触れ実感してきた。ポケモンが世界的に大人気なのも頷ける。
一番印象的だったのは、ポケモンが広まり始めた最初期だ。ポケモンのゲームが発売されるや瞬く間に子どもたちの間に大流行し、子ども向けの製品はポケモン一色に染まった印象があった。
その当時、僕は二十歳そこそこで、名古屋の家具屋でバイトをしていた。家具屋の冬は必ずデスクの配達が増えるのだが、そこに欠かせないマストアイテムが、キャラクターの描かれたデスクマット。
デスクを購入するのは小学校に通う前の保育園児や幼稚園児なので、関心を引くためにはやむを得ない。
そのデスクマットの絵柄は当初、男子はドラゴンボールで、女子はセーラームーンが定番だった。ところがポケモンゲームの流行以降は、男子も女子も関係なくポケモンキャラクターの一覧になった。
机を配達に行くと、その家の子どもが一覧からお気に入りのポケモンを探し出して「私、これ好きー」とか、順番にポケモンの名前を読み上げていくような光景はもはや当たり前だった。そうした子どもたちの反応に、ポケモンの凄まじさを感じたものだ。
僕の場合はまず育った時代が違う。さらには、乗り遅れた。それでいつしか「ま、いっか」になり、ポケモンを知らない人間になってしまった。
ゲームはわりとやるし、ポケモン人気も知っているだけに、我ながら天然記念物だと思う。
僕にとっては、ジムで一生懸命運動するのになぜか痩せられず、ぽちゃ体型のガチョウさんたちの方が断然、お気に入りだ。ここは譲れない。