選び取った未来、選ばなかった未来
あの時の僕は、こちら側を選んだ。
足を切り、自ら不自由になるという残酷な未来。
義足なるものに賭けてはみたけれど、義足を使いこなせる保証なんてどこにもない。
松葉杖や車椅子での生活も覚悟していた。
外にはほとんど出られないからと、色々なものを諦めた。
あれも、これも。本当に色々。
そうやって残酷な未来を受け入れたのが功を奏したのだろうか。
実際には心も身体も健康になり、今では義足が元々の足のように使いこなしている。
もちろん、松葉杖も車椅子も必要ない。
我ながら思うが、これは出来すぎだ。
誰がこんな未来を想像しただろう。
僕の通う作業所には、足が悪くて装具での矯正が必要な人が何人もいる。
ほとんどの人は事故原因。
介助なしで歩けるものの、足取りが重くていかにも不便そうだ。
足を切った僕の方が機敏に動ける。
それはあの時、僕が選ばなかったもう一つの未来そのものだった。
最低限の手術で足を残す代わりに、悪い菌に勝つまで長い間入院を強いられる。
悪い菌との闘いに勝って退院したとしても、今度は装具を着けてのリハビリが待っている。
長期入院で筋力が落ちれば、足があっても歩けるようにはならない。
生活が不自由なだけでなく、身体も心も病んだままになるだろう。
今の自分とは、対照的。
もう一つの未来を選ばなくて良かった、と心底思う。
最近、少年だと思っていたあの人が実は三十路手前だと知って驚いた。
タイムカードの打刻機が故障して、今月からタイムカードがなくなった。
休憩時間に二階の相談室で過ごしたら寒くて仕方なかった。
誰とでも親しく話せる顔なし君を羨ましく思ったり。
そんな作業所での時間は騒がしくて小さな事件は色々あるけれど。
あの時の選択が正解だったと思えるほどには満ち足りている。
この今を、壊したくない。