物語の終わりと始まり 6冊目
2024年11月23日
それは11月下旬。最初はL形から始まり、そのL形を終えた後にPCを渡されたからとにかく時間がなかった。
残りページ数と自分の希望を天秤にかけて、今日絶対に仕上げたいと打ち込みを急いだ。その結果、数分の時間オーバーで何とか打ち込み完了。
送迎車で人を待たせているから余韻に浸ることはできず、てきぱきと片づけてスタッフに報告をした。終盤で進捗が遅れたりもしたのに、なんとも味気ない幕切れだった。
最初のうちはほぼPCの時間に当てられたものの、缶バッジ作業が入ってからは缶バッジとL形ばかり。打ち込みはもう無理かなと半ば諦めていた中、たまたま時間ができて完成にこぎつけた。だからかなり嬉しいはずなのに、目の前のバタバタで嬉しさを噛み締めることはできなかった。
淡々と終わって、次の本を待つ。今の作業所の様子だと、そうするしかないのかもしれない。
打ち込みを終えた6冊目は、森見登美彦氏の「シャーロック・ホームズの凱旋」。473ページ、255054文字。これまでの最長で、打ち込み期間は約半年だった。
最初に受け取った本は装丁が豪華で分厚くて、わくわく感しかなかった。実際もボリューム感があって、打ち込み甲斐はあったと言えるだろう。
舞台はヴィクトリア朝京都という、近代くらいの英国と京都が混じり合ったような架空の街だ。そこに本家と同様、シャーロック・ホームズは下宿屋に、記録係のワトソンは自らの経営する診療所に、それぞれ住んでいる。
京都の地名が多く登場するものの、登場人物は全て英国人だ。日本のようで日本ではなく、英国のようで英国でもない。そのミスマッチは最初から違和感があり、そして最後まで馴染むことはなかった。
シャーロック・ホームズが主人公なのかと思ったら、ワトソンが主人公だったのも期待を裏切られた。殺人事件や凶悪事件が発生することはなく、もちろんそうしたオーソドックスな謎解きもなく、全体的にはファンタジーに終始した。僕としては、どうしても「これじゃない感」が拭えなかった。
物語としてはまとまっていた。でも、ホームズやその近くにいる人物のスランプをやたら強調してゴリ押しする書き出しから不安感があった。その強烈なスランプから脱出するため、神秘主義というファンタジーに頼る展開にも共感できなかった。
途中で舞台が英国ロンドンに移る展開にしても、現実なのか、妄想なのか、よく分からなくなる。そして最終的に知りたい謎は解き明かされず、解明のヒントだけが示されて物語は幕を閉じる。最後まで消化不良だった。
本作はどうやら本家のアナザーストーリーらしい。要はオマージュのつもりだろうが、ホームズ作品とは別物として考えてもらいたい。
打ち込みに関しても、書き方が統一されていなくて苦労した。カタカナの人名ばかりだし、慣れない文化とそれに伴う特殊な単語の連続。さすがにこの本でしか、こういう苦労はないだろうな。
自分には合わなくても、そういうミスマッチもまた本を手に取る魅力の一つかもしれない。
次の本はどんなタイトルで、どんな内容だろう。今から楽しみだ。